牛ほめ

子どもが牛ほめに夢中…

与太郎が新しく普請した親戚の家に行き、新築を褒める話
行く前に親にせりふを教わり「畳は備後の五分縁で」と言うところを
「畳はびんぼうでボロボロで」などとすべて粗忽なのを、
お腹を抱え、体を二つに折って大笑い。


ポーランドの友人は小林清親の研究をしていて
#私も雪降る「第一銀行」とか好きだー静岡に行きたい!って思うんだわ。
それはまたどうして?と聞いたら、
もともとは攻殻機動隊とかが好きで、それと別に浮世絵にいつも惹かれるものがあったと。
(浮世絵の人物の髪型に惹きこまれたと)
そして現代日本のアニメーションは浮世絵の系譜を引いているんじゃないか、
って思ったからだと言ってた。
彼の仮説。もう何年も前の話。

身分社会で子どもは親の住まいと職業を継ぎ、近所は皆知り合い、
結婚相手もそれなりに同じ身分のひと。
毎日の出来事を喜んだり悲しんだり、小さな物語を生きる日々、つまり浮世に
歌舞伎役者や美人さんは、夢中になれる輝きだった…

でもアニメは浮世絵の後継ではなかったというのが結論。
だってもう、日本に浮世はないですよね、と彼は言っていた。
明治も後半になり軍国主義の色濃く、
日本人はもっと大きな物語を生きるようになったから。
たとえば坂の上の雲を追いかけるような。
浮世がなくなったから、もう浮世絵はないんですよ。

さらにナショナリズムからグローバリズムへ。
今私たちはいったいどういう物語を生きているのか、
もはや足元の掴めない雲の上を歩き過ぎさ迷ってると思うこともあれば
そもそもちゃんと歩いてたのか?と
この体をふっとバランスを崩すように振り返ってしまうこともある。

でも、喜びと悲しみ交錯する浮世を、やはり生きているのは間違いない
…この子どもの、柔らかく震える背中を見よ。