東大寺LIVEおぼえがき

お久しぶりです。
ご縁をいただいて標題のLIVEに参加して来ました。
記憶がきれぎれなのが本当に残念…。覚書というかメモです。

始まる前は今日のセトリはあれかこれかと考えていたけれど、終わってみるとまったく違っていた。ラカチノトヒ、HYBRID FUNK、去な宇宙 、Believe in intuitionといった曲たちをモチーフにしながら、剛さんの歌唱も一つ一つの歌を際立たせるようには歌われていなく、むしろインスト=セッションが構想し描出した、全体でひとつの生命体、叙事詩だった。

奈良の日々にいます神仏への崇敬、荒々しい神や仏たちの歴史でもあり、人の嘆きと祈りの繋がりでもある歴史への遡行。奈良についての叙事詩だったし、剛さんの音楽が投げ込まれた生命のような赤い時間でもあり。

遠くアジアを想わせる恵子さんとオリビアさんのコーラスの響き、声明と法螺貝が厳かに太古からの祈りを伝え、時が止まったかと思うと鐘が鳴り、剛さんのギターが大仏とセッションして(という風に見えた)、スティーブさんのつよい息が命を吹き込んでいくように妄想したり、ダッチさんが重く刻む下降のリズムで、ああこれから時を下っていくんだなとを覚悟したり、そしてGakushiさんのシンセでどんどん時空が広がって行って、自分がどこにいるのか、どこにもいないのか、ただこの目だけが耳だけが宇宙に浮かびたゆたう千年の旅を目撃した、そんなLIVEだった。

これだけでももう胸がいっぱいで今何を見ているのか自分で自分がわからない、まさに無我夢中のところに、さらに凄いエンディングが。

渦巻く音楽から一転、そがわさんの端正なイントロに導かれたのは「街」。一気に次元が変わり、広大な時空間を駆け巡る物語は一人の少年の故郷奈良との別れに舞台を変えていた。この夜の「街」は悠久から零れ落ちた一つの祈り。現身、そんな言葉が頭をかすめた。奈良にいる分身を想い、いや東京にいる自分こそが分身なのか、苦しみと分かちがたい故郷への想いが物語全体を照らし出していた。

MCによれば、自分の思いを歌うことに躊躇があったとのことだけれど(奉納という文脈だから?)、人の側から物語を照らす終章は個人的には絶対あったほうがよく、そしてそれは剛さん自身による「街」以外にはなかった。心震えるエンディングでした。

これまで見たどの剛さんとも違った。もの凄いLIVEでした。

※ご存知の通り、途中涙で歌唱が途切れた数十秒があって、そのことによる胸の痛みが消えない中で書いているので少々熱っぽい。中途半端ですが手離します。

ご縁に深く感謝して。2018.9.19